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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(あ)457号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人等の弁護人原田香留夫の上告趣意について。

所論(一)、(二)は、現行犯の場合でないのに令状によらないで司法警察職員らが犯人と認める者を緊急逮捕することができる旨定めた刑訴二一〇条は憲法三三条に違反する、と主張する。けれども、刑訴二一〇条は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で、且つ急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げて被疑者を逮捕することができるとし、そしてこの場合捜査官憲は直ちに裁判官の逮捕状を求める手続を為し、若し逮捕状が発せられないときは直ちに被疑者を釈放すべきことを定めていて、かような厳格な制約の下に、罪状の重い一定の犯罪のみについて、緊急やむを得ない場合に限り、逮捕後直ちに裁判官の審査を受けて逮捕状の発付を求めることを条件とし、被疑者の逮捕を認めるものであって、憲法三三条の趣旨に反するものではないこと、当裁判所の判例とするところである(昭和二六年(あ)三九五三号同三〇年一二月一四日大法廷判決、刑集二七六〇頁)。さればこの点に関し原判決には右憲法の解釈を誤った違法はなく所論は理由がない。

所論三は、たとえ刑訴二一〇条が適憲としても、緊急逮捕は同条所定の要件を厳格に充足して行われたものでなければ適憲ということができないのに、第一審判決を是認した原判決判示の宇部市警察署警視桂静雄以下の警察職員の職務執行行為は同条の要件手続を充足履践せずになされた違憲違法のものである、すなわち、第一に、本件では被疑者を特定して表現できる程度の認識が警察職員になく、従って被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由があったものといえない、第二に、裁判官の逮捕状を求める時間的余裕はあったのである、第三に、逮捕に当ってその理由を告げなかった、第四に、本件緊急逮捕は被疑者を逮捕する手続としてなされていない、第五に、本件被疑者に対して事後裁判官の逮捕状を求める手続がなされていない、と主張する。

しかし、第一に、原判決説示の事実関係によれば、判示司法警察職員にとっては判示日時宇部市をデモ行進して判示宇部窒素工場に不法に侵入し共同して脅迫暴行等をした朝鮮人犯人(集団犯人)達の氏名、住所は当時においては明らかでなく、その人相、体格または服装等の特徴を一々具体的に表示し難いものではあったが、現に判示解放救援会事務所までデモ隊に追尾した大島敏行らの司法警察職員(刑事)において本人を見れば直に犯人と識別し指摘できるものであったというのであるから、警察職員は当時右集団犯人の工場侵入共同脅迫暴行の犯行があったこと及びその一部については被疑者を特定して指摘し得る程度にその犯人を確認していたことを原判決が判示していること明らかである。しかも、右犯人と認める被疑者達が多数であり、各地より判示結成大会のため来集し、他の多数朝鮮人とともに集結しつつ逮捕に来るべき司法警察職員に対し共同して石、コンクリート破片等を用意し暴行をもって逮捕を免れようと企てつつあった判示のような不隠混乱状態の下においては、たとえ司法警察職員が彼等の中に右集団犯人達を容貌等を見て識別確認し得ても、その氏名住所を知ることはもとより、彼等多数の各人毎にその人相、体格等の特徴を逐一言語文字をもって具体的に表示することは困難であったと考えられるから、彼等の中の或者が右犯人であることを識別確認し得る以上、彼等被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由があるものとして緊急逮捕をすることを妨げるものではない。

第二、原判示によれば、第一審判示の日午前一一時四〇分頃、判示司法警察職員等は、相当数の朝鮮人青年の一部が判示窒素工場構内に侵入し共同して脅迫暴行をした事実を認めその集団犯人達が誰であるかは数名の司法警察職員が人相、体格、服装等を見れば識別することができたのであるが、その氏名、住所は判明しないのに、犯行後間もなく彼等は同所を退去し判示解放救援会事務所に引き揚げそこで他の多数朝鮮人と混在し結成大会を開いていたというのであるから、司法警察職員が同日逮捕状を得て逮捕するにしても緊急逮捕をするにしても右大会の現場に赴き被疑者に接近対面してこれが逮捕を全うするには周囲を警戒し妨害を排除し平穏裡に職務を執行し得るだけの多数の警察職員の応援を要すると考えられ、そのためには事前に右会場における被疑者その他の多数朝鮮人の動向を探知し、応援警察職員を手配し、その状況に応じて逮捕は後日逮捕状を得てなすべきか或は即日逮捕の方法によるべきかを協議検討しなければならず、このためには宇部市警察当局が右犯行を知った後即日逮捕を決定するまでに二時間余を要したとしてもやむを得ないところといわなければならない。そして、また、当時の事態が判示のようなものであった以上、司法警察職員が窒素工場における集団犯行の被疑者として確認した各人につきたとえその人相、体格等被疑者を特定するに足りる事項と被疑事実の要旨とを記載し資料をととのえて裁判所に赴き逮捕状請求手続をし、若干時間後これを得て帰り逮捕に赴いても、被疑者達が判示解放救援会事務所内外より立ち去り若しくは服装を変へ或は同所で警察職員に対する反抗態勢を愈々強化するような虞があることは考えられるところであり、従って、司法警察職員が逮捕状を得て逮捕に赴いても逮捕の実を挙げ得る可能性は甚だ乏しかったものといわねばならず、これがため緊急逮捕の方法によるべきことの決定に到達したものと考え得るのである。してみれば、判示のような状況の下においては、司法警察職員は逮捕状を得る余裕なく緊急逮捕の方法によることができる事情であったというほかない。原判決のこの点に関する説示は相当である。

第三に、司法警察職員が緊急逮捕をするには、先ず被疑者本人に接近して対面しなければならないことは刑訴二一〇条の予定するところであると解せられる。従って司法警察職員が被疑者逮捕のためこれに接近しようとする行為は緊急逮捕に欠くべからざるその職務行為であるといわなければならない。従って、判示司法警察職員が前示工場侵入共同脅迫暴行集団犯被疑者達に対しかかる職務行為をするに当り被告人等がこれに対して原判決引用の一審判決判示のような暴行傷害を加える所為は公務執行妨害罪と傷害罪との観念的競合一罪を構成するこというまでもなく、従ってまたその現場におけるこれらの公務執行妨害傷害罪の現行犯人を併せ逮捕しようとしつつある司法警察職員に対し、第一審判示の暴行傷害を加える所為もまた公務執行妨害傷害罪を構成するものといわなければならない。所論は逮捕に当ってその理由を告げなかった逮捕行為は違法であるというけれども、この告知は、一部は現行犯の場合に当るのでその必要なく、他の一部は前示警察職員が逮捕のため被疑者に接近中になされたことが認められているものである以上、判示司法警察職員がその後右現場において右集団犯被疑者達に対面し逮捕の理由を告げ得て逮捕に成功したか或は本件被告人等の公務執行妨害傷害行為に妨げられて不成功に終ったかは被告人等の原判示犯罪の成立に消長を来たすものではない。

第四に、本件緊急逮捕は被疑者を逮捕する手続としてなされていない、と主張するけれども、一、二審判決の認定は司法警察職員が緊急逮捕のためその目的を告げてその被疑者に接近する職務行為をするに際し或は現行犯人としてこれを逮捕せんとするに際しこれに被告人等が判示暴行傷害を加えたという趣旨であるからそれが緊急逮捕手続若しくは現行犯人逮捕手続として開始された事実は認定せられているものというべきである。

第五に、原判示工場侵入共同脅迫暴行集団犯行被疑事件の被疑者に対して事後逮捕状を求める手続がなされていないと主張するが、右共同脅迫暴行の被疑者を逮捕する手続が開始されそれが妨害された事実は同判決において認定されているけれども、逮捕し得た事実は判決において認定されていないのであるから彼等に対し逮捕後逮捕状を求める手続がなされたか否かについてまで判示していなくとも一、二審判決認定の本件被告人等が犯した公務執行妨害傷害罪の判示としては欠けるところはない。

憲法七六条三項違反の論旨は要するに原判決の前示違憲、違法の主張を前提として原審裁判官のした原判決を非難するに帰し、上記の理由により前提を欠くから採用すべき限りでない。

その余の論旨は刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

論旨はいずれも採用することができない。

また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって同四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 高橋潔)

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